食道がん
食道がん
食道がんは、喉から胃をつなぐ約25センチの管状の臓器である「食道」の粘膜から発生する悪性腫瘍です。日本の食道がんの約90%は、表面の粘膜(扁平上皮)から発生する「扁平上皮がん」であり、飲酒と喫煙が極めて強力な発症要因となります。一方、近年では胃酸の逆流(逆流性食道炎)を背景とした「腺がん」も増加傾向にあります。
食道がんの最大の特性は、早期の段階では自覚症状が全くない一方で、周囲の臓器(気管や大動脈)へ容易に浸潤し、極めて早期から全身のリンパ節へ転移をきたすという、消化器がんの中でもトップクラスの悪性度の高さを誇る点です。進行すると、食べ物が胸につかえる、声がかすれる、体重が激減するといった症状があらわれます。治療は進行度によって大きく異なり、ごく早期であれば内視鏡による切除(ESD)で完治を期待できますが、進行した場合は、首・胸・お腹の3領域を大きく開ける非常に体への負担が大きい外科的手術や、強力な抗がん剤、放射線治療を組み合わせた集学的治療が必要となります。
食道がんの症状は、腫瘍が食道の内腔を物理的に塞いでいく過程や、周囲の臓器へ浸潤する過程であらわれます。
粘膜の表面にとどまっている早期の段階では、痛覚神経が刺激されないため無症状です。一部の患者さんで、食べ物を飲み込んだ瞬間に「胸の奥がチクッとする」「熱いものを飲むとしみる」「喉の奥に何かが引っかかっている感じがする」といった微細な違和感を自覚することがありますが、一時的であるため見過ごされがちです。
・嚥下困難(えんげこんなん):がんが大きくなり食道の内腔が狭くなると、肉やパンなどの固形物がつかえるようになります。さらに進行すると、お粥や水などの液体すら通りにくくなり、食べたものを嘔吐してしまうようになります。
・体重減少:食事が物理的に喉を通らなくなるため、短期間で数キロから十数キロ単位の急激な体重減少が起こります。
・胸痛および背部痛:がんが食道の壁を突き破り、周囲の肺や大動脈、脊椎などに直接浸潤すると、食事とは無関係に持続する胸の奥の痛みや、背中の激しい痛みがあらわれます。
・嗄声(させい:声のかすれ):食道のすぐ脇を走る「反回神経(声帯を動かす神経)」にがんや転移したリンパ節が浸潤して神経が麻痺すると、突然声がかすれて出にくくなります。これは進行した食道がんの極めて重要な警告サインです。
・むせ込み(咳嗽):がんが隣接する気管や気管支に浸潤して穴が開く(食道気管瘻)と、飲食物が直接肺に流れ込み、激しいむせ込みや致命的な誤嚥性肺炎を引き起こします。
食道は、口から食べた食物を胃へ送り届けるための単なる筋肉の管ですが、解剖学的に非常に厄介な構造をしています。
胃や大腸などの他の消化管は、一番外側が「漿膜(しょうまく)」という丈夫な膜で覆われていますが、食道にはこの「漿膜」が存在しません(一部の腹部食道を除く)。さらに、食道のすぐ周囲には気管、肺、大動脈、心臓といった生命維持に直結する重要臓器が密集しています。そのため、食道がんが筋肉の層を越えて外側に成長すると、物理的なバリアがないため、容易かつ急速にこれらの重要臓器へと直接噛みつくように浸潤(直接浸潤)してしまいます。
また、組織学的に日本の食道がんの約90%は、食道の粘膜を構成する扁平上皮細胞から発生する「扁平上皮がん」です。残りの数%〜10%が、胃酸の逆流(バレット食道)を背景として食道下部に発生する「腺がん」であり、欧米ではこちらが主流となっています。
食道がんの生物学的な最大の特徴は、「リンパ節転移の異常な早さと広さ」です。
食道の粘膜の下(粘膜下層)には、リンパ管のネットワークが縦横無尽かつ極めて豊富に張り巡らされています。そのため、がんが粘膜下層にわずか数ミリでも入り込むと、がん細胞は容易にリンパ管という高速道路に乗り、発生した場所から遠く離れた首(頸部)、胸の中(縦隔)、お腹の中(腹部)のリンパ節へと、一気に飛び火するように転移(スキップ転移)を起こします。
もう一つの重要な特徴が「多重がん(重複がん)」の多さです。扁平上皮がんの原因となる飲酒や喫煙は、口から食道に至るすべての粘膜(上部消化管・呼吸器)に発がんのダメージを与え続けているため(フィールド・キャンサライゼーション現象)、食道がんの患者さんは、同時に咽頭がんや喉頭がん、胃がん、肺がんなどを合併する確率が約20%にものぼります。
扁平上皮がんの最大の危険因子は「過度な飲酒」と「喫煙」であり、これらが組み合わさることで発がんリスクは数十倍に跳ね上がります。
アルコールが体内で分解されて生じる「アセトアルデヒド」は、極めて強力な発がん性物質です。日本人の約半数は、このアセトアルデヒドを無害化する酵素(ALDH2)の働きが遺伝的に弱い、あるいは完全に欠損しています。少量のアルコールですぐに顔が赤くなる(フラッシャー)体質の方が、無理をして長年飲酒を続けると、食道の粘膜がアセトアルデヒドに慢性的に暴露され続け、食道がんの発生リスクが異常に高くなることが科学的に証明されています。
加えて、熱すぎる飲み物や食べ物の摂取も、粘膜に火傷のような慢性的な炎症と物理的ダメージを与え、がん化を促進する要因となります。
一方、近年増加している「食道腺がん」の原因は、逆流性食道炎の慢性化によって食道粘膜が胃の粘膜に置き換わる「バレット食道」です。肥満による腹圧上昇や、食生活の欧米化がその背景にあります。
食道がんは、通常のバリウム検査などでは早期発見が極めて困難であるため、高精度な内視鏡検査と全身の画像診断を組み合わせることが必須です。
・上部消化管内視鏡検査(胃カメラ)
食道がんを早期に発見できる唯一の検査です。通常観察では見逃されやすい平坦な早期がんを発見するため、特定の波長の光(NBIやBLIなど)を用いて粘膜表面の毛細血管の異常な増生を茶褐色に浮かび上がらせる特殊光観察が極めて威力を発揮します。また、ルゴール液(ヨード液)という色素を食道に散布し、正常な粘膜は黒褐色に染まり、がん細胞は染まらずに白く抜ける性質を利用する「色素内視鏡検査」は、がんの正確な範囲をミリ単位で診断するために不可欠です。異常があれば組織を採取(生検)し、病理検査で確定診断をおこないます。
・超音波内視鏡検査(EUS)
がんが食道の壁の「どの深さ(深達度)」まで入り込んでいるかを、超音波を用いて断層画像で評価します。内視鏡で削り取れるか、手術が必要かを見極める決定的な検査です。
・造影CT検査およびPET-CT検査
がんが周囲の気管や大動脈に浸潤していないか、首・胸・お腹のリンパ節に転移していないか、あるいは肝臓や肺などの遠くの臓器に転移していないか(ステージング)を全身的な視点から精査します。
食道がんの治療は、がんの深さ(深達度)と広がりに応じて、内視鏡治療、外科的手術、化学放射線療法を使い分けます。
がんが粘膜の極めて浅い層(上皮層・粘膜固有層)にとどまっており、リンパ節転移のリスクがゼロに近いと判断される「早期食道がん」に対する根治療法です。専用の電気メスを用いて、食道の内側から病変を広範囲に剥ぎ取ります(内視鏡的粘膜下層剥離術)。体への負担が非常に軽く、数日で退院できる治療です。
がんが粘膜下層より深くまで進行し、リンパ節転移のリスクがある場合(ステージI〜III)の標準治療です。食道の大部分を切除し、転移しやすい首・胸・お腹の3領域のリンパ節をすべて徹底的に郭清(切除)します。その後、胃を管状に引き伸ばして胸や首まで持ち上げ、残った食道と縫い合わせる「再建術」をおこないます。手術時間は8〜10時間以上に及び、消化器外科の中で最も体への侵襲(ダメージ)が大きく、術後の合併症リスクも高い大手術です。
高齢や持病で手術に耐えられない方、あるいは手術で声を失う(喉頭も切除する必要がある)ことを避けたい方に対して、根治を目指しておこなわれる治療です。抗がん剤と放射線照射を同時に強力におこない、がんの消滅を図ります。
すでに他の臓器へ転移がある場合(ステージIV)や、手術前にがんを縮小させる目的(術前補助化学療法)としておこなわれます。近年は、従来の殺細胞性抗がん剤に加えて、免疫のブレーキを解除する「免疫チェックポイント阻害薬(オプジーボやキイトルーダなど)」を併用することで、生存期間の大幅な延長が期待できるようになっています。
Q.お酒を飲むと顔が赤くなる体質ですが、食道がんのリスクは高いですか?
A.はい、極めて高いです。顔が赤くなる(フラッシング反応)のは、発がん性物質であるアセトアルデヒドを分解する酵素の働きが弱いためです。この体質の方が長年にわたって飲酒と喫煙を続けると、食道がんの発生リスクは、飲まない・吸わない人に比べて数十倍から100倍近くまで上昇することが分かっています。この体質に当てはまる方は、定期的な胃カメラによる検診が命を守るために不可欠です。
Q.内視鏡検査でヨード液(ルゴール液)を撒かれると胸が痛いと聞きましたが?
A.ルゴール液は正常な粘膜とがんを明確に区別する非常に優れた検査法ですが、アルコール成分が含まれているため、散布した瞬間に胸の奥が焼けるような強い刺激や痛みを感じることがあります。そのため、最近では患者さんの苦痛をなくすため、ルゴール液を使わずに、特殊な光(BLIなど)と拡大観察のみで同等の診断をおこなう医療機関が主流となってきています。
Q.逆流性食道炎を放置すると食道がんになりますか?
A.胃酸の逆流が慢性化すると、食道の粘膜が胃の粘膜に置き換わる「バレット食道」となり、そこから「バレット食道腺がん」が発生するリスクが高まります。日本の食道がんの主流(扁平上皮がん)とはタイプが異なりますが、近年増加しているため、胸やけが続く場合は胃酸を抑える薬による治療と定期的な内視鏡による監視が必要です。
早期の食道がんは自覚症状が全くないため、「食べ物がつかえる」「体重が急に減った」といった明確な症状があらわれた時点では、すでに進行がんである可能性が極めて高いという厳しい現実があります。
したがって、症状が出てから受診するのではなく、ハイリスク群(50歳以上の男性で、毎日の飲酒習慣があり、喫煙歴がある方、特にお酒を飲むと顔が赤くなる体質の方)は、無症状であっても年1回の「内視鏡検査(胃カメラ)」をうけていただくことが絶対的な推奨事項となります。
万が一、食事のつかえ感、飲み込むときの胸の痛み、原因不明の長引く咳や声のかすれなどがあらわれた場合は、食道がんが周囲の臓器や神経に浸潤している深刻な警告サインです。これらの症状がある場合は、直ちに消化器内科を受診し、精密な内視鏡検査およびCT検査などをうける必要があります。